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『中二病でも恋がしたい!戀』 感想(『AURA』もあるよ)

 ああ幸せだ幸せだ。こんなにも優しい世界をみせてくれるなんて。

 

 『中二病でも恋がしたい!戀』は今季のアニメの中で僕が見ていて一番幸せなアニメです。中二病の再肯定を成し遂げた第一期から続いたこの第二期は、じゃあその肯定された生き方のままでどのように幸せに日々を送っていくのか、という(今のところは)微笑ましい試行錯誤を描いています。

 

 そこで、第一期以上にスポットが当てられているのが、周りのクラスメイトたちです。立花の中二病の振る舞いに対しても特に気にせずに付き合ってくれたり、修学旅行で立花と勇太を茶化したりしてくれるクラスメイトたちが、印象的に描かれています。それがやっぱり僕にはとても幸せな光景に見えるし、さらに言えば、これまでの中二病を題材にした作品ではなかなかきちんと描けてこなかったものでもあるのかなと思うんですね。

 

 第一期放送時ですが、『中二病でも恋がしたい!』を見て、ラノベに少し詳しい人ならすぐに思い浮かんだであろう作品があります。『AURA~魔竜院光牙最後の闘い~』というライトノベルです。当時、既に『人類は衰退しました』でラノベ作家としても一定の評価を得ていた田中ロミオが書いたこの作品は、やはり中二病(作中では「妄想戦士」と名付けられていました)を描いていましたが、スクールカーストを題材にしており、まさに中二病の「イタさ」を前面に押し出していました。この作品がすごいのは、その上で、きちんと中二病を救ってあげられているところです。その点、『中二病でも恋がしたい!(第一期)』は、『AURA』の後発でかつ、勇太と立花の設定が『AURA』と完全にかぶっていて、それでいて、立花の中二病の背景として語られるのが家族の死という、かなり個人的な事情(=中二病を立花個人の問題にスケールダウンさせてしまっている)だったということもあり、少なくとも僕の中では『AURA』に比べて「少し物足りないなあ」と思っていたものでした。

 

 その『AURA』のクライマックスシーン、主人公佐藤一郎に向かってヒロイン佐藤良子(もちろん重度の中二病患者です)が叫ぶ言葉があります。以下、引用します。*1

 

「一郎こそ、この世界が楽しいと本気で思っていると?」

「それは」 嘘のつけない質問を投げられた。

「・・・・・・・そうさ。普通の高校生らしさになじめない人間だよ、俺は。けど、こうやって頑張ってんだろ!」

「私は頑張れない」

「何で頑張れないんだよ!」

「狭量だから」

「誰が」

「世界が」

 

 今読み直してみても、ここまでシンプルに、的確に中二病モノの葛藤の本質を突いた言葉を僕は知りません。ロミオ先生まじ凄い。『AURA』はその狭量な世界でも何とか生きていこう、という終わり方を(一応は)します。

 

 翻って、『中二病でも恋がしたい!』は、スクールカーストなんてものは一切描かれません。葛藤しているのはもっぱら中二病な本人たちだけで、周りのクラスメイトは彼らのその過去や現在の振る舞いに対して拒絶をしません。それは第一期からそうでしたし、第二期ではそれがもう少し過剰に描かれています。寛容なのです。世界が。それに対してともすれば批判する向きもあるかもしれません。現実はこんなもんじゃない。甘すぎると。

 

 でも、本当にそうだろうか、とも僕は思うのです。『AURA』の描いていた世界の狭量さは、確かに存在するでしょう。でも、実際にはもう少し世界は寛容なのではないか。中二病でも恋ができるし友だちもできる、自分をちゃんと肯定できさえすれば。そのくらいの寛容さがあふれている世界が僕は幸せだと思うし、そういうのを少しは期待してもいいのではないか。『中二病でも恋がしたい!戀』はそんなふうに思わせてくれるのです。それは一期、つまり『AURA』的な手続きを踏まえたからこそ描けていることであり、そして、『AURA』が描けなかったことを描けているのではないかと僕は思っています。だから、僕はこのアニメを見てとても幸福なのです。そう、自己肯定がちゃんと救われる、この世界が見たかったんだと思わせてくれるから。

 

 

  

AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ (ガガガ文庫)

AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ (ガガガ文庫)

 

 

 

*1:ちなみに、このシーンに関しては劇場版で花澤香菜さんが本当に素晴らしい演技をしているので、まだ見てない人は是非ともレンタルでもいいので見ていただきたいです。最近見たアニメ映画の中ではダントツで良かったと思っています。