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『THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!』 感想【ネタバレ注意】

 

色々細かい点で気になったことはあるのですが、やっぱり春香さんが素晴らしい映画だったというべきでしょう。というわけで春香さんがいかに素晴らしいかについて書きます。

 

春香さんにとってのアイドルっていうのは、「アイドル」って概念そのものです。

 

恋に恋する,とはよく言いますが、春香さんにとっての「アイドル」っていうのもたぶん、最初、そういうふうに見えると思うんです。

でも、何がヤバイって、それが、奇跡的にずっと崩れずに保持されてしまっていることです。恋に恋するって言葉がいつか現実的な人付き合いの難しさに幻滅するという前提で使われているように、「アイドル」って存在も、実際に自分がその立場になったら自分の想像とのギャップに苦しむはずなんです。春香さんは,他のアイドルと違って,自分の目的のためのアイドルではなく、「アイドル」のためにアイドルになったから。でも、アニマスの春香さんはそうじゃない。どんなにつらい思いをしていても、理想と違う扱いであっても、春香さんにとっての「アイドル」っていうのはずっと揺らいでないように思える。唯一、アニメの最終盤を除いて。

 

そこで、思ったのです。恋に恋する、なんて次元じゃない。きっと、春香さんにとって、「アイドル」という形は最初から決まってなかった。だから、きっと、自分がアイドルになった、そこから、春香さんの「アイドル」の中身というのは作られていったのではないか。春香さんにとって「アイドル」とは理想なんかじゃなかった。ただ、自分の中にその存在だけあって、全肯定すべきもの。だから、揺らぎようがない。春香自身がアイドルであること自体が春香の中の「アイドル」を形にしていっているのだから。そりゃ凡庸な個性なんて出てくるはずがない。春香さんの個性っていうのはつまり「アイドル」であること、それだけなんです。それだけでいいんです。もう、なんなんですか、それ。全く普通じゃないです。

 

アニマスのクライマックス、最終23,24話は、春香さんにとっての初めての挫折が描かれていました。でも、その挫折っていうのは、美希や千早のように、「自分がこうだと思っていたアイドル」への幻滅からくるものじゃありません。春香さんのエピソードがアニメの最終盤に来てる意味は何なのでしょうか。それは、そこまでのエピソードによって、春香さんにとっての「アイドル」が形作られていたからにほかなりません。もちろん、プロデューサーに大怪我をさせてしまったという事実はショッキングでしたが、春香さんの挫折は、それ以上に、それまで春香さんが実際のアイドル活動を通して積み上げてきた「アイドル」が崩れかけてしまったという描かれかたをされていました。だから、春香さんはもう一度自分の中での肯定すべき「アイドル」を見つめなおして、事務所のみんなの力も借りて、復活します。でも、結局、春香さんにとっての「アイドル」は最後まできちんと言葉にはされなかった。

 

そして劇場版でそれは叶いました。春香さんの中の「アイドル」の表明が、アリーナでのあのシーンです。あそこで春香さん、そして765プロのみんなは泣いちゃいます。その涙の理由ってなんだったんでしょうか。多分、フツーに見るとちょっと違和感があるシーンだと思うんですよね。確かに感動的なシーンだったけれど、特に765プロのみんなの反応は、単に春香さんが決断して、可奈を説得できたから、と言うもの以上の、何かがあったと思うんです。それは、きっと、春香さんが自分にとっての「アイドル」を初めて、形に出来た、表明できたことの感動、だったのではないでしょうか。あそこで、春香さんは自分の中で存在だけあった「アイドル」をついに言語化出来たわけです。それは、春香さんが頑張って、頑張って、ついに見つけた、自分自身の表明でもあるわけです。それが深い感動を生んでいる。それだけで、この劇場版は素晴らしい、と手放しに褒めてもいいと思います。だって、(僕はゲームをやっていませんが)ゲームの頃から延々と春香さんをある意味で縛っていた、「アイドル」であることに、きちんと答えを与えてくれたのですから。